学び続ける

ここ数日の我が家は、午前中だけ異国に変わる。

夫がオンライン英会話を始めて、画面越しにどこの国にいるのかわからない人と話しているのだ。その間、わたしは病院に行ったり、イヤホンでラジオを聞いたり、本を読んだりと存在を無にするよう心を砕いている。

難しい難しいと言いながらも、どこか楽しそうな様子を見て、この人は本当に勉強が好きだな、気が知れないや。と感心する。

 

移住の流れで、「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を今、読んでいるのだけれど、これは本当に全く他人事ではないのです。私たちはいつまで働き続けるのか。そもそも、定年・リタイアなんてものが出来たのは長い歴史の中で一握りで、一億総中流が泡沫と消えた今は、その考え自体を変えて、いかに生き、いかに労働していくかを模索しなければならないのです。

 

ということをぐるぐる考えていて、怖い!でも力を手に入れなければ!というマインドになっている。知力・体力・時の運(経験や直感ともいえる)を、壮年期のうちに付けておくことがきっと大事。多分。

 

で、私も今は時間が余っているので、一つ屋根の下で頑張っている夫を見ていると、何となく何かをしなければならぬという気持ちが生まれてくる。こういう時になんかしたほうが良いんだろうなぁ。普段ならしないこと。

結局、書店でNHKラジオ講座の「中学生の基礎英語レベルⅠ」を買ってきた。

後追いみたいになっちゃったんだけど……と夫には言ってみたものの、まぁまごうことなき後追いである。もっと考えろ。

 

そもそも、それっぽいことを書いて危機感を高めているけれど、結局このままではいけない!と言うだけで満足してしまうことが圧倒的に多い。何もしてないのに重大なことをしてしまった気になる。怠け者め。

でも、今日はとりあえずラジオに向かって、中学一年生が教室で学んでいる文を、へなへなと読み上げている。大したものだと、褒めておこう。