子供を持つ選択

35歳を迎えて「子供、持つ?持たない?」という問いがリアルになった。

29歳で結婚をした当初、経済的に安定したらまぁ考えるか、などとと思っていたが、まぁそんな日など来ない。そうこうしている内に、肉体的なタイムリミットが迫ってきた。

 

そもそも、子供が欲しいのか?そう訊かれたら「どっちでもいい」というのが正直なところ。全くリアルじゃねぇ。

子供、嫌いじゃない。むしろ20代の頃よりも、他人の子供を見ても可愛い~と思うようになった。でも、だからといって、自分が育児をするのか?全く想像できない。

 

「授かりものだから」なんて便利な言葉だろう。

親から子供をせっつかれてもこの一言を言えばいい。「どっちでもいい」私たちは出来りゃ出来たで授かりもの。と前向きな話し合いも努力もせずにすむ。

が、厄介なことに、「どっちでもいい」は「作らなくてもいい」とはまた微妙にニュアンスが違う。本当に、子供、作らなくていいのか?

 

一先ず私たちが出した答えは、「努力はしよう。それで出来なかったら仕方ない。」だった。子供を持たない理由がないと、何故か後ろめたく感じてしまう。だから踏み切ったのだった。子供を持たない選択をしたの、と堂々と言えるほど、私たちは強くなかった。

 

身体的な理由以外に子供を作るor作らないと決断する材料、どういったものがあるだろうか。

経済的な問題やキャリア、親との関係性……そもそも子供が嫌い、二人の生活で満足、等々色々あるとは思うんだが。そういえば、同僚は結構はっきり「作る気がない」って言いきっていたな。ワンちゃんがいるので、十分だとか。

 

私たちには「作る!」という情熱も、「いらない!」という材料も、何もなかった。まぁ冷静に考えると、私たちの収入と能力で養えるのか?とかまだ移住する可能性もあるし全然プラン決まってないけどそこどうなの?とか二の足踏む条件はたくさんあるんだけど、それって今までもそうだったんだよね。

 

ちょうど妊活を始めた同僚(生活圏もほぼ同じ)が居たのも大きい。

彼女の勧めで病院に通い始め、お互いに報告し合いながら進めていった。基礎体温を測り、血液検査、精液検査、卵管造影検査、排卵誘発剤……先ずは排卵日を図りタイミング法で。

卵子の寿命は24時間。それを逃せば一か月待たなければならない。排卵日が近づいたらソロソロだよ!と夫に声をかける。私たちは、比較的性生活が苦ではなかったので良かったのだが、全くダメな夫婦もいるだろう。実際、Amazonでシリンジを購入して、精子を膣に送る方法をとった知り合いもいる。

恐ろしいもので、人間は努力に対して成果が得られないと、だんだんとムキになっていく。そもそも妊活って、めっちゃ面倒なのだ。

最初は「努力してもだめなら仕方ないね」くらいの気持ちだったものが、言われた通りにやってるし精子の運動量も人並みで排卵も出来てるのに実を結ばないのってつじつまが合わなくない?何なの?みたいな感情が芽生えてくる。

いや、今までの「授かりものだから~」って考えはどこ行った??

 

そんなこんなで、今まで通りやってもうまくいきませんよ、よりステップアップした治療を早めにしていかなければね、と通っていたクリニックからは妊活専門のクリニックを紹介され、左様かと転院した先でも「あなたの歳で人工授精したって意味ないね。とっとと体外受精すべき。」と断じられる始末。

(このクリニックの方針は「貴重な費用と時間を費やすのであれば、より成功率の高い方法を最初からとったほうが、最終的には良い」というものであった。考え方は病院や先生に寄りけりなので、合う合わないはあると思う。培養士の腕もよいという自負もあったのだろう。)

 

重大な決定事項をも強引に押し進める姿勢のドクターに不信感を感じ、このままここで治療を続けるのは止めよう、と仕事もすっぱりやめて、移住にシフトして引っ越しの準備を進めることにした。

それ以降は病院に通うことも止め、生理が上がった日から確実に排卵したとわかる日まで2日おきにタイミングを取るという、効率ガン無視、徒手空拳、下手な鉄砲数うちゃ当たる戦法を取り続けた。

やけくそである。

そうして、引っ越しして直ぐに、妊娠が発覚した。こうして私たちの妊活生活は終わりを迎えた。

 

原始的な方法だったが、なにがどう実を結ぶかわからないものである。

 

あれから9ヵ月。今は臨月である。

無痛計画分娩を予定しているので、泣いても笑っても、中の人はあと一週間ほどで強制的に腹からご退室していただくことになっている。

結局、妊娠しても一度もホッと安心できたことはない。

無事に生まれても、正直、ネグレクトや虐待をしない自信もないし、反対に子供に殺される可能性も考えてしまう。

 

結局、自分たちに育児ができるのかどうかの問いは、これからも続いていくのだ。