よく海外の人は「next chapter」って表現を使っている。
なんかかっけぇーと見聞きするたびに思っていたけれど、もし表現するとしたらそうなんだろう、という局面に自分自身が立った時、川の中で否応なしに流されていく心細さと、分岐に立って未知のルートを切り拓く高揚とで、ぐちゃぐちゃになっていくのがわかる。
引っ越し先は全く縁のないところになりそうだ。
なぜそこに?と言われると細かな理由はちょこちょこ思い当たるのだけれど、その場所も腰掛になる可能性は大いにあるな、と油断のならないところもある。
場所も物件も、心底惚れ込んだ!というところに出会うのは難しい。
私は海が好きで、千葉でサーフィンなんぞ洒落込んだこともあるが、未だに波は怖い。好きだからと言って関東の海沿いの街に住めば満足するだろうか。いや、違和感は拭えないだろう。
私の好きな海は、楽しい思い出の中の景色に広がる、朝から晩まで凪の瀬戸内海だけなのだから、当然だ。
だからと言って瀬戸内海に面した街に住めば納得できるか、というとそれも違う気がする。結局私の頭の中のユートピアでしかないのだ。
理想というのは、得ていたもの取り戻すか、得られなかったものを追い求めるか。経験によって作られていくもので、全く同じヴィジョンを共有することは出来ない。
夫婦でそれをすり合わせていくのは、一時の対話だけでは難しい。
日々の生活の中で小出しに提示していかないと、相手の理想を理解し、三次元で捉えることが出来ない。
夫は「どういう生活がしたいか?」とよく問いかけてくれた。状況に応じて、なんて考えていると、いつまでも何かが足りないし何かが欲しいと思い続けてしまう。今となっては意味のある問いかけだったけれど、よくわかんねぇこと聞くな、と思っていた。
どんな些細なことでも良いので、これからは声に出していこう、と反省した次第。
せっかくその声を聞いてくれる人間が居るのだから。
何はともあれ、無事に転居できますように。